投資家の本懐

FX、不動産投資、その他投資全般について

投資とは、あるいは起業とは

起業も投資も本質は似ている。
ボクが頻繁に例に出すトヨタで言えば
トヨタに投資をするのは、その企業に何らかの「良い部分」を見出したから。
「~だから成長しそう」「こういう点が自分の考えに近い」などなど。
できることなら自分で、トヨタのような会社を起業したい
が、それはほとんどの人には無理だから、投資をする。
リターンを求めて、あるいは応援や支持の意味を込めて。
既存の企業にそれをするのが投資で、
思うような企業が無いから自分でやろうというのが起業。
不動産で言えば、既存のアパートを買うか
新築を自分が建てるか…という認識。

さて、世間で良く言われる搾取について。
労働者は搾取される。これは当然。
この搾取の理由として、たまに聞くのは
企業は顧客を集める、労働者はその手間を自分が勤める企業に委ね
そこに集まった仕事をこなす、という考えがある。

まあボクは投資家だし、従来のリスクの考えがすっきりする。
投資家はリスクを負う。
(まあそれが、顧客を集める義務を負うというのと、裏表なのだが)
一方で労働者は基本、職を失うリスクはあるが、負債を背負うリスクはない。
労働者は、自分が個人でやれば負う可能性のあるリスクを
投資家・資本家に負って貰う代わりに、搾取される。

企業が存続する為には、
たとえば年収500万の労働者は、ざっと1000万程度、稼ぐことが望ましい。
資本家は、給与の他に、それぞれの社会保険なども負担するわけだし。

ここでは仮に、2倍稼がないと、企業は成長しないと考えようか。

ここで仮に置いた2倍という比率は、情勢で変化する。
日本のように、労働人口が減少していく社会では
労働者は奪い合いになる。
それにより、資本家は「本来2倍ぐらいが望ましい」と考えていても
高い給与を出さざるを得ない。
ま、しゃーない。

あるいは、人口などの影響以外でも
希少なスキルを持った労働者を求める場合、同じ理屈で賃金を割高にせざるを得ない。
ただその場合でも さきほど仮に「2倍が適切」としたのなら
そこから大きく外れた賃金で、労働者を雇うことはできない。
それをしてしまうと、やがて企業は倒産してしまう。
ま、これは当然っちゃあ当然。

ということは…労働者がスキルアップして転職をしたとして
それで給与が上がっても、求められるモノもそれに連れて上がる。
1000万の給与の人は、2000万程度、社内で稼ぐことを求められるわけだ。

さて、資本主義では富が偏る。
そりゃそうだ。
資本家は会社を維持し、拡大させなければ、基本的にはいずれ淘汰される。
淘汰されずに残った、一部の資本家に、富は集中する。

これに対して異を唱えたのが社会主義だが
その構造は、リスクを軸に考えれば、いびつであることはすぐにわかる。
労働者は、リスクを資本家に肩代わりしてもらうかわりに搾取される。
社会主義では、この搾取をおかしなこと と捉え
搾取されていた分を、労働者に返そうとした。
じゃ、リスクは?
社会主義での労働者は、当然のようにリスクを負わない。
これまで同様、リスクは負ってもらったまま、搾取分だけを返してもらう…。
だから働かない。
負債を負うリスクを背負わず、なんなら、クビになるリスクすら
軽減してもらえるのだから、それでも真面目に働くというのは
一部の「よくできた人」だけだ。
多くの人は、何かに追いかけられなければ、「夏休みの宿題」を終わらせないものだ。

さて、社会主義はダメ。資本主義では富が偏る。
では、どうしようか?
これまで何度か、搾取と書いてきた。
仮に、給与の2倍働くことを、ここでノルマとして仮定したわけだが
全ての労働者は、2倍をノルマとされているか?
いや、実は違う。
基本給+歩合給で働く労働者のノルマはもっと軽い。
どのぐらい軽くなるかは、基本給の比重によるだろう。

このようなタイプの労働者は、成績=歩合となる。
つまり、資本家に預けていたリスクを、一定割合、自分が負っているから
搾取される分が軽くなる。
当然だが、成績が悪ければ、歩合は減る。
それが、リスクを返してもらうということだから。

さて、昨今、投資の必要性を言う人が大幅に増えているが
これもまた、リスク軸で考えれば当然のこと。
労働者が、ある企業に投資をする、つまりその株を買うということは
今度は、資本家が背負いきれないリスクの部分を
代わりに(その金額に応じて)背負うということ。
例によってトヨタで言うと
トヨタが倒産したら株が0になる、というリスクを引き受けることで
配当なり、将来のキャピタルゲインを得られるわけだ。

と考えると、最初の言葉
「投資をすることと起業をすることは、似た意味がある」に行きつく。

さて、最近の日本の労働者の暮らしは苦しくなってきているようだが
まあこれは当然。
だって、資本主義は、時間が経つにつれて、富が一方へ偏るように
出来ている構造なのだから。
もちろん、それ以外の外的な要因から、生活が苦しくなっているのは事実だが。
で、例えば、政治が悪いだの、金利を上げないからだのと色々な意見はあるが
意見を言う人のほとんどは、リスクを負ってないよね?
というのが、ボクが先に書いた内容となる。

仮に、もし日本で核戦争が起きたら?
あるいは、南海トラフなりの大きな災害に見舞われたら?
その被害は、多くの国民全体が負うことになるかもしれないが
でもそれって当然じゃね?と。
氷河期が来たらみんな飢えるし、温暖化がひどくなればみんな困る。
地震が来たら、被災者は被害を受ける。
そういうリスクから、当事者意識から逃げて
何か起きれば「xxのせいだ」と言う。
いや、まわりまわって、俺ら一人一人のせいだから。
もちろん、災害とか、誰のせいでもない とも言えるけれど
被害を負うリスクから、完全に逃れられる人なんて、世界中誰もいないわけだ。

富の一極集中がおかしいと思うのなら
中流階級の多くが、下層に落ちていくのが間違っていると感じるなら
他人に預けているリスクを、自分の下へ、一部でも返してもらいなさいと。
それなしに、ただ、「給料を上げろ」というのは
「タダで金を寄越せ」と言っているのと同じこと。

でね…これからの企業は、その存続の為に
より積極的に労働者に、責任と富を分け与えなさいと。
責任は今のままで、富だけ労働者に与えるのは、存続は無理です。

ボクが以前に書いた、
「管理会社の社員なら、自分でも物件を持ち、自分の会社に管理を任せなさい」というのは、そういう意味。
会社は会社で、持続可能な可能性の高い物件を社員が持てるようにフォローをし
社員は社員で、自分が持った物件を、会社の誰かが運用するように計らう。

これ、前回言ったことにも繋がる考え。
「Aという問題の解決の為にBという対策を取った」
「Cという問題の為に…」
社会には無数の問題が発生するのだから、その対策を新たに取り続けていけば
社会も個人も、対策を取ることにどんどんリソースを取られていく。

だからその、対策をまとめようとしなさいと。
対策BとCとDを取る代わりに、Eを行うことで簡略化しなさいと。
そりゃ、BとCとDを取ることの効果>Eの効果にはなるでしょうよ。
でもその代わり、BCD全部やる手間>Eをする手間なんだよと。

つまりさ、運転手が足りないなら
タクシーを走らせる代わりにライドシェアを許可しようと。
それもさ、あくまで自分が移動するついでに、他人も乗せる じゃないと
結局、誰かがわざわざそこへ行って、客を拾って というリソースは変わらない。

ボクは関西だから、維新の主張を良く聞く機会がある。
「府と市の二重行政「という言葉を、彼らは良く言っていた。
維新への批判は色々あるとして、言わんとするところはわかる部分はある。
で、実際問題…
ボクの家には、まず郵便が来る。
さらに、ポストにはビラが配られている。
そして、ときには宅配も来る。

たとえばこういうモノひとつでも、
それぞれの企業なりが、競争なり、民間以外ならナワバリなりで
どれだけ多重に「業務」が行われているか。

技術が進歩しても仕事量は減らず
仕事量が減らない割に、恩恵はさほど増えてもいない…。

ま、そのうち誰かがうまいこと考えてくれるっしょー。
(あ、またループしてるし)