投資家の本懐

FX、不動産投資、その他投資全般について

他人の意見を取り入れるということ

前回に引き続き…な部分から。

確率1/2の賭け事を、延々と繰り返せば、ほぼトントンになる。
理屈ではそう。
だが、時間の無駄とも思えるが、世の中には、そういう賭け事が好きな人もいる。
そういうのをまとめると、ギャンブル好き、ということで。
ボクは、理屈至上主義ではあるけれど、ふとそういう気分になることもある。
大昔、つきあいたての彼女と、ふと、宝くじを10枚買ったことがある。
「宝くじなんて控除率がああ…」と言いそうなボクだが
そのときは、「当たったら何か、美味しい物でも食べに行こうか」などと言っていた。
単純に、楽しかった…。
でもボクは普段は、理を基準として動いていたし、そうすべきと考えていた。

あるときからボクは、FXを始めたいと考えるようになり、
そのときふと、手に取ったのが、阿佐田哲也について書いていた本だった。
小説等ではなく、ギャンブルと向き合う考え方について書かれていたもの。
総論はボクのそれまでの考えに近い。
9勝6敗を目指す、フォームが大事、ブレないこと…。
でもそのときボクは、こう言われたような気がした。

「お前さんの考え方は、理が勝ちすぎている。世の中はね、理屈の裏に、人の欲や情が絡んでるんだよ。今のままで進めば、どこかでつまづくかもしれないね。」

ああボクは普段、頑なに、理に合わない物を排除していたんだ。
そうしないと、自分のフォームが崩れるから。
理屈に合わないことは、見ないように、考えないように…。

それからボクは、折を見て、彼の本を読むようになった。

元々の自然は、勝ち負けで出来ている。
動物が別の動物を狩る。
狩られれば負け、狩れば勝ち。
逃げられれば勝ち、逃がしてしまえば負け。
勝てば得られ、負ければ失う。

それは人には厳しすぎるから、人間は共生をするように、社会を作るようになった。
会社を見てごらん、一度でもささいなミスをしたら、即クビなんてところは無いだろう。
それは、勝ち負けを均し、大きく目立たないようにするということだ。
でもこれが自然なら、数秒のミスだけで、命を落とすことだって、当たり前に起きる。
元々そうならない為に、人は集まったのだから…。

でもね、たとえば会社だって、利益は欲しいわけだ。
だから、たとえ真面目な社員でも、どうしても役に立たなければ、辞めてもらうこともある。
共生しようという大義とは別に、より多く得をしたいという欲もある。
人の社会は、大義という表と、欲や情という裏で出来ている。
だから、たとえば汚職とか、上級国民を贔屓してるのではと思うこととかが、それが良い悪いではなく、ゼロになることはない。
ちょうど、泥棒が居ない社会が無いように。
平等という大義があって、裏で欲や情があって、あるいはそれに対する妬みや嫉妬があて…。
それら全てが、社会なんだ…。

たぶんこのあたりかなあ?
ボクが意識して、見ないようにしていたもの…。
でもボクはこの頃、為替だの株だの、理屈の上に、人のごちゃっとした感情をコーティングしたものを、扱いたいと思っているわけで。

そしてボクは最後に手に取ったのが「競輪教科書」。
ボクは競輪はやったことがない。
そして、最初の項が「まず見より始めよ」。

競輪というのは、ひとつの場に参加する選手が集まる。
まず予選をして、上位者が次の日に残る。
当然人間なんだから、調子のよい選手、悪い選手がいる。
だから見なさい。まず、予選を全て見なさい。
そして、そのとき、タダで見てはいけない。


うん、これが前回書いたこと。
それまでのボクは
見ることに、賭け金の有無は関係ない、という理で動いていた。
たとえ100円であっても、無駄に使う道理はないと。

でも今ならわかる。
人間なんてものは、どこか不真面目で、タダで見ているモノは、それなりの見方しかしていない。
そもそも、ただ外から眺めて、わかった気になっても、良いことなど何もない。

YouTubeでも、あるいはブログでも、HPでも…。
自分と違う点のある人のモノを見なさい。
(もちろん、共感の多いモノも読む。特に面白ければなおのこと…。)

たとえばボクなら、ソフトランディングできない派だと思ってはいるが
だったら尚のこと、ソフトランディングするという人の意見を聞かなければならないと感じている。
意見が対立していても、考えている人の見解には、勉強になる部分はある。
もちろん、自分の誤りを見つけることだって良くある。
だから触れなさい。積極的に触れて、相手がなぜそう思ったのかを考えなさいと。

あとね、ボクは「準地方準高利回り」的で
完全な地方高利回りの人や、都心部中心主義の人とは、微妙に違う考えだけれど
それぞれの立場で、考え、実践している人からは、得るモノが多いと感じている。
その中で、「この人のやり方は、理解は出来るけれど、自分とは合わない」というモノも出て来る。
それが、「自分に向いていない」ということ、「やりたくない手法」だということ。
自分に合ったやり方なんて、簡単にはわからないが
「なんか嫌だなあ、違う気がする」などは、比較的わかりやすい。
合わないことを避けて、なんとなく残りが、自分に合ったやり方なわけで。

でも、「なんか違うなあ」と思った人の意見も、きちんと見ないとね。