Youtubeで、「兄弟」というタイトルで上がってるドラマが2つある。
1と2。合わせて1作のドラマだ。
作詞家、なかにし礼が、実兄について書いた、自伝的なドラマだ。
ボクの中に、この「兄」が居る。
初めてドラマを視たときから、そう感じている。
落ちることが甘美だと「兄」は言う。
自分の中の何かがそれに賛同する。
ボクは以前、3000万で某レースに単勝1点買いをしたことがある。
自分と家族の金、全財産。
レース中、そしてレース後、写真判定になる瞬間、「負けた」と感じたボクは
たしかに「落ちる瞬間の楽しさ」を感じた。
結果として勝った自分は、いつか「落ちる瞬間」を、同様に夢見ているのかもしれない。
投資であれ投機であれ、どこまでも続ければ、いつか負ける。
負けることは甘美ではない。
が、負ければ全てを失うかもしれない「瞬間」は、美しいし、楽しくもある。
自分とこの「兄」の差は、時代性と「知性」の差でしかない。
負ければ全てを失う勝負をして、負けてしまえば
自分の知性の否定になる。
その思いから、「負けまい」と思いながら生きては来た。
でも、「兄」は常にささやき続ける。
「本当は、俺のように生きたいんだろ?」
「今あるしがらみを、全部取っ払って、勝負してみなよ」
否定はしない。それもまた自分なのだから。
「本当はもっとレバレッジをかけたいんだろう?」
「自分が良いと思う投資に、もっと…」
家族など泣かせればいい。
もっともっと…。
常に自分の中の悪魔がささやく。
投資家は常に、この悪魔を飼っていなければならない。
飼いならして、手なずけて、そばに置いて、耳を傾けて、それでいて
主導権だけは、自分が持ち続けること。
今日は前回のブログを書き終えて、ちょっとだけルール違反をした
ドル円 138 15枚→137.8で決済。
悪魔のささやきに乗ってしまった自分が情けなく、素敵だ。
この悪魔もまた、自分自身なのだから。
飼いならしながら生きていく。
それが出来なければ、破滅するだけだが
まあ、それはそれでいいと、うっすら感じていたりする。
負けて、命すら差し出すとしても、それもまた、投資家の本懐。
このブログで書くことは、勝ち方ではない。
生きざまと、死にざまであるべき だと…